常に進化し続けるサッカー界の「戦術」。世界的サッカー史家がサッカーの進化を読み解く『戦術の教科書』(ジョナサン・ウィルソン、田邊雅之著/2017年刊)より、「アンチ・フットボール」の歴史に迫った部分を一部抜粋して前後編で公開。今回は後編。(文:ジョナサン・ウィルソン、田邊雅之)
2020年05月16日(Sat)10時15分配信
イデオロギーに唱えられる異議
シメオネをして、ここまで極端な方策を選ばせる要因は何か。彼の戦術的なバックグラウンドはどこにあるのか。
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答えを探し出すのは、さほど難しい作業ではない。シメオネは「アンチ・フットボール」の伝統を、極めて正しい形で継承しているからだ。
「アンチ・フットボール」は、近年のフットボール界で、最も頻繁に使われるようになった言葉の1つだ。「フットボールをさせない戦術」「ゲームの理念を否定する戦術」を意味するこのフレーズは新しい戦術用語だと思われている方も多いだろう。
事実、「アンチ・フットボール」という単語が有名になったのは、2007/2008シーズンのチャンピオンズリーグにおいて、バルセロナと対戦したレンジャーズが、なりふりかまわず守るだけの試合をした頃からだった。
だが「アンチ・フットボール」は、新世代のフットボール用語などではまったくない。他の戦術用語と同じように、極めて長い歴史を持つ用語であり、特定の文脈や時代背景の中で作り出された概念だった。
さらに述べるなら、「アンチ・フットボール」は普通名詞などではなく、アルゼンチンと深く結びついた固有名詞でもある。その歴史的な文脈を理解することは、ひいてはアルゼンチンにおけるフットボールの歴史そのものを把握する一助にもなる。
アルゼンチンのフットボール界は、両極端なイメージで捉えられることが多い。
1つ目はリオネル・メッシに象徴されるような、類まれなテクニシャンを輩出する国だというイメージ。もう1つはラフプレーや汚いファウル、ひたすら守りを固めることさえ厭わず、勝負に徹する人間を輩出する国だというイメージになる。シメオネなどは後者のイメージを、現役選手時代から体現してきた。
だが二分したイメージは、決して昔から存在していたわけではなかった。それどころか、かつてのアルゼンチンでは「ラ・ヌエストラ」――個々のスキルを重視した、美しい攻撃的なフットボールこそが正統派だとされていた。
だが、そのようなイデオロギーにやがて異議が唱えられ、勝負に徹する真逆のイデオロギーが登場することになる。それこそが「アンチ・フットボール」だった。
きっかけになったのは、1958年のワールドカップスウェーデン大会で、アルゼンチンがチェコスロバキアに1- 6で大敗したことだった。
これを境に「ラ・ヌエストラ」の黄金時代は、ほぼ一夜にして終わりを迎える。美しく、攻撃的なスタイルで勝利を狙うはずのアルゼンチンは、チェコスロバキアよりも明らかにスピードで下回っていただけでなく、プレーの力感に劣り、スタミナも欠いていたからだ。
かくしてお呼びがかかったのが、1940年代や1950年代にベレス・サルスフィエルドというクラブを率いていた、ビクトリオ・スピネットだった。
スピネットはベレスの監督時代、攻撃的で美しいフットボールとは真逆のアプローチを追求。勝負に徹することで、幾多の結果を出していた。「アンチ・フットボール」は、当時のベレスを指すために使われた言葉だったし、「アンチ・フットボール」という戦術思想自体が、ここに端を発している。そして数十年後に、シメオネが名を連ねたのもベレスだった。
(文:ジョナサン・ウィルソン、田邊雅之)
【了】
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May 16, 2020 at 08:15AM
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