サッカーの1982年ワールドカップ(W杯)スペイン大会で、イタリア代表FWとしてチームを優勝に導いたパオロ・ロッシ氏が死去した。64歳だった。ロッシ氏が評論を行っていたイタリアのRAIスポーツ電子版が報じた。

同電子版によると、ロッシ氏の妻フェデリカ・カッペレッティさんが「不治の病を患っていた」という同氏の死去を発表。インスタグラムに2人の仲むつまじい写真をアップし、ハートのマークとともに「永遠に」という言葉を添えた。

パブリート(小さなパブロ)の愛称で親しまれたロッシ氏はユベントスの下部組織で育ち、同クラブでプロ生活をスタート。ユベントスを2度のセリエA優勝に導いたほか、欧州カップ(現欧州CL)も制した。

イタリア代表でも大活躍した。1978年W杯アルゼンチン大会に出場し、チームの4強入りに貢献。だが80年に八百長に関与したとして、同年4月のポーランド戦を最後に2年間の出場停止処分を受けた。

処分が明けた82年5月に代表に再招集。直後のW杯スペイン大会で世界的なスターへ大ブレークした。2次リーグでジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾ、ファルカンの「黄金のカルテット」を擁した優勝候補筆頭のブラジルを相手に、ハットトリックの大活躍で3-2と競り勝った。西ドイツとの決勝でも先制点を挙げ、6得点で得点王となり、チームに3度目のW杯のトロフィーをもたらした。

身長174センチで細身の体ながら、鋭い動きだしで相手選手のマークを外し、シンプルなワンタッチでゴールを重ねた。「バンビーノ・デ・オーロ(黄金の子)」と称され、82年のバロンドール(欧州最優秀選手)を受賞している。